安岡正篤

革命家というと、一般に理想的解釈をするのでありますが、あらゆる革命家に共通してあるものは実に権力欲というものであります。このためにはなにものを犠牲に供してもはばからぬという非人間性であります。これは近代諸国家の革命を見ても、共通の真理であ…

もう駄目だということになったならば、一ぺんそれをおっぽり出してしまうのが宜しい。どうせ駄目なものなら、悶えておっても仕方がないから、これは成行きにまかせてうまくやるより外にはない。 禅家の言葉で言えば随波逐浪(ずいはちくろう)ということです…

人間が禽獣的・動物的段階からだんだん発達してくるにつれて、何が善であるか、美であるか、あるいは神聖であるか、真実であるかといった価値観・理想が考えられるようになってきた。動物と違うようになってきた。そこに自然自然に生まれてきたものが道徳で…

人間とは、自分の欲望、自分の趣味に任せて何でもやり、油断をすると「為さざるなきなり」、何をするかわかったものでない。何でもしでかす。このごろの犯罪を見ても、病人を見ても、まったくこれは「為さざるなきなり」と、もう何でもやってのける。しかし…

「識」には三つある。一つは「知識」で、これは一番つまらん。雑識と言いますけれど、今日で言うとディレッタントというもの、これはあまり値打ちがない。人間には単なる知識ではなく「見識」、価値判断が大事である。見識がなければ語るに足らん。ところが…

自分というものは信じないで、自分の持っている地位で、或いは物的財産というようなもので終始取扱われる、評価される。それは自分そのものを信用されるのとは非常に違う。人に使われるにしても、君はこういう人物だ。君の人物を見込んで任命しよう。ここで…

この宇宙、この人間というものが、存在し活動しておる所以のもの、これあって天地も人間も存在し生活することができる、これがなければ、宇宙も人間も存在することも、活動することもできない所以のもの、これを「道」というのであります。一切はこれによっ…

たいていの人間は、何か少し得たり、所有するところがあると、すっかりいい気になるものである。最も低級な人間は、財産、名誉、その次は権勢、そういうものを持つと、すっかり鼻を高くしてしまう。何か自分自身が偉くなったような気がする。これは小人の常…

日本人が民族としていろいろ優秀なる素質を持っていることは説明するまでもありません。頭も良い、気力もある、いろいろの才能もある。仕事をさせればなかなかできる。思想でも学問でも、やらせれば大したものであります。それは今も変わりません。 日本人の…

『論語』では「敬」ということを非常に大切に説いているんですが、『孟子』はむしろ「恥」というものを掴(つか)まえて、人間が恥じるという心を養えば、それで人間は必ず救われる。人間が恥じるという、恥に耐えないという心を養いさえすれば問題はない。…

現代の世の中・文明というものが、このように非常に物質化、機械化して、しかもあらゆる発明発見が発達して、世界が一つとか言われているように有機的に緊密に組織されてしまって、通信・交通いろいろのものが発達する。文明生活の内容が非常に複雑豊富にな…

道とか教えとか真理というものは、非常に微妙なものです。それはその時、その場においては何のこともないようでも、ちょうど花の花粉とかあるいは種子などが、どうしていったいそういうことになるのか、ほとんど予測できないことと非常に似ております。日本…

人間で言うと男と女の二種類があるわけですが、どっちが造化、自然そのままであるか、自然によく似ておるか。これは言うまでもなく男よりは女である。男はいかなる英雄・哲人といえども子供を産むことだけはできん。これは女の本領であります。 子供を産むと…

昔から言うように、われわれは住むにも着るにも食べるにも、その土地でその時にできるものを食べておるのが一番いい。これを時食という。春は春らしいものを、秋は秋らしいものを食べておるのがいいんで、温帯は温帯のものを食っておればいい。寒帯は寒帯の…

真の指導者は必ず謙虚で、私がなく、自己の利害・欲望によって汚されない良心から起つべきものであって、社会の善のために、また人類の幸福と進歩のために指導し、私心を満たすためにするのではない。賢明な指導者はまた必ず自分ばかりでなく、他のエリート…

交通戦争と言われるように自動車事故が非常に増えましたが、医者の統計によりますと、事故を起こす者は大体において我が強く、せっかちで、目先のことに夢中になるという共通した性癖の者であると申します。そしてこの性格の者は一度ならず二度も三度も、繰…

国家内外の問題も、突き詰めてみると、結局、心である、つまり人であるということです。いろいろの座談会などで、地方の指導者たちがさまざまな質問をしてくるその最後は、要するに「人を求めておる」という一語に尽きる。今日の日本に何が欠けておるのかと…

昔は馬の走る速さで満足しておりましたが、今日では急行列車、特急列車、新幹線もまだ遅く感じられ、電報などじれったい。耳はオーケストラの全音量を要求し、ひどい不協和音を受け入れ、トラックのとどろきや、機械の叫びや唸り声に慣れ、それらの騒音が音…

佐藤一斎の「言志四録」の『言志録』一三七にこういう箴言があります。 自分の体は天からの授かりもので、死ぬとか生まれるといった権利はもともと天にあるのだから、逆らわずに畏れもせずに、従順に天命を受けるのは当然なことである。われわれが生まれるの…

「児童憲章」 人間進化の機微は胎児に存する。胎児はまず最も慎重に保育されねばならぬ。 児童は人生の曙である。清く、明るく、健やかなるを尚ぶ。 児童に内在する素質、能力は測り知れぬものがある。夙くより啓発と善導を要する。 習慣は肉体となり、本能…

「父母憲章」 父母はその子供のおのずからなる敬愛の的であることを本義とする。 家庭は人間教育の素地である。子供の正しい徳性とよい習慣を養うことが、学校に入れる前の大切な問題である。 父母はその子供の為に、学校に限らず、良き師・良き友を択んで、…

家庭は団欒、したがって対話、会話というものが非常に内容をなすものだが、その立場から見ると、家庭にはいろいろのタイプがある。 例えば、批評型というのがある。家庭の者が集まると何だかんだと人の批評ばっかりする。親戚、交友から始まって、とにかくい…

青年というものは、まだ思慮も経験も熟さん、純真である。それだけに危険である。往々にして方向を誤る。問題、人事というものに熟さんから、思索・判断を誤る。それゆえに危険であります。 そこで、どうしても先輩・長者というものと相俟たなければいかん。…

結局人間は、人にばかり求めても仕方がない、己を修めなければいけないということであります。自分をおさえる、いい換えると克己であります。 自分、家庭、周囲をうまくやっていこうと思いますと、どうしても克己---己に克つということがなければなりません…

自分自身というものは決して断片的に存在するものではなくて、この今日の自分自身の生は悠久の生命の流れの中に位置しておるのである。したがって何が生じてくるかわからぬし、また自分の影響がいつどこへどういうふうに伝わってゆくかわからない、そういう…

人間というものは、日用心法、片言隻句といって、そう機械的なものではない。たまたま膝を交えて話をした、一緒に一献酌み交わした時に、何心もなく言うた一語に、君はなかなかいいことを言うね、見直したよというようなことから、大いに話が進む。そうかと…

夜が明けたならすぐ起きる。しかもフラーッと起きるのじゃない。即起である。目を覚ましてすぐ起きられるというのは、医学的・生理的に言うてもこれは健康な徴です。目は覚めたけれど何やら霑恋する、ぐずぐずしとるというのは、意識が朦朧としている、これ…

私たちは空気を吸わなければ生きておれない。すぐ死んでしまう。その大切な空気がだんだん文明の発達、近代都市化することによって非常に悪化している。いわゆるメガロ化現象によって大衆が過密化し、機械化してくる都市ほど、今や清浄な空気などというもの…

理にもいろいろあります。 論理というのは、実は最も抽象的、概念的であるから、これは当てにならん。思索になれない人は言い負かされて、心の中では「そうじゃない」と合点できなくても、黙してしまうことが多い。頭ではやむを得ないけれど、心の中では感情…

世の中は、これでもか、これでもかというように、とくにこの頃はサービス産業、大衆娯楽産業が発達し、現代人はますます自己を失いやすくなっておる。昔の産業は近代経済学の分析でいうと、第一次産業といって、土をひっくり返して、稲や麦や野菜をつくると…