happykobe2005-09-15

人間というものは、日用心法、片言隻句といって、そう機械的なものではない。たまたま膝を交えて話をした、一緒に一献酌み交わした時に、何心もなく言うた一語に、君はなかなかいいことを言うね、見直したよというようなことから、大いに話が進む。そうかと思うと、君はなかなかできると思っておったが、つまらんことを言いやがる、愛想が尽きた、と一言で駄目になることもある。それがいわゆる人生の生というものである。これが普段の心法、日用心法によって養われる。これは一つの専門的用語で言う生計、いわゆる人生の生の計りごとの大事な問題であります。