2005-08-01から1ヶ月間の記事一覧

世の中には有為・有能な人物であるにかかわらず、人に好かれぬというような人もおります。そういう人間について矯正法があります。こういう人物は必ず何か人に好かれぬ癖があるものなのです。そこを直せばよい。 一、初対面に無心で接すること。 有能な人ほ…

一日二十四時間、朝のあと、昼、夜があると考えるのは、死んだ考え方である。活きた時間というのは朝だけだ。言い換えれば本当の朝を持たなければ一日だめだという。これはそのとおりだ。だから朝寝坊するのは、一番いけない。昔から優れた人で朝起きでない…

単なる理屈や興味や打算などで、自己を新しく改造することはできない。本当の自分にならないと駄目です。自分を疎かにせず、本当の自分にかえって来なければ、自己の改造はできない。たいていの人間の禍は、自分を疎かにするということです、自分を棚に上げ…

人生の出来事というものも、たとえば何が幸いであり、何が禍であるかは、容易に分からぬ。凡俗の浅薄な考えで、これは幸福だ、これは禍だとすぐ決めるが、人生・自然・天・神の世界の真実・理法は、そんな単純な、あるいはいい加減なものではない。「人間万…

情は人間をそのままに表す心である。だから情を「まこと」ともよむ。もっとも、情を偽るということもあるが、理ほどではない。理のあてにならないのは、どうにでも弄ぶことの出来るところにある。かれも一理、これも一理、各人の立場立場によっていかように…

現代社会を善くするためには、俗流に屈しない有志者グループの必要がある。内面生活という私的な、隠れた、容易に他人と分けあうことのできないものがあらゆる独創性の源泉であり、高貴な行動の出発点である。現代の乱雑と騒擾との中にあっても、精神の自由…

大体人類がこの地上にあらわれて少なくとも二十万年と言われます。赤ちゃんの年齢を二十万歳と申すのはその故でありますが、特に人間らしい生活をするようになってから五千年であります。この五千年の間におきた出来事を調べてみますと、本質的にはすでに経…

大体人間のすることはうそが多いというので、「人が為す」と書いて「偽」という字ができておる。この偽という字は、一つの意味は人為という意味で、その次の意味はうそです。人間のすること、技術、これは大事なものですが、けれどもこれはやがて往々にして…

私たちの両親はたった二人でありますが、十代遡りますと百万を超え、三十代遡りますと十億を超えます。だからたとえば私達の肉体、生命、存在はそれこそたいへんな数の先祖の産物であると考えますと、その何億という先祖が考えたり、行ったりしたことのエネ…

考えてみれば、因果の成り行きは実に恐ろしいものであります。世の多くの人々はみな、金が欲しい、地位が欲しい、名誉が欲しい、と一生懸命やっておるが-----恐らく誰しもその家、その子孫のためと思うてやっておるに違いない-----ところが何ぞ知らん、その…

氷山は八分の一が上に出ていて、水の中にその七倍もの潜在氷塊があるのですが、人間の潜在意識というのは無限の祖先から伝わってきておるのだから、氷山どころの騒ぎじゃない。われわれの意識、われわれの知覚なんてものはほんの一部分で、潜在意識、潜在精…

人の人たるゆえんは、実に「道徳」を持っておるということです。そしてそれは「敬」するという心と「恥」ずるという心になって現れる。いくら発達した動物でも、敬するとか、恥ずるとかいう心はない。これは人間にいたって初めて神が与えたものなのです。敬…

いつの時代でも世が衰える時ほど必要なものは、群集の動きや軽薄な大衆に迎合しない、屈服しないで、みずから信ずるところを修めてこれを行じようというところの篤志家、先覚者であり、またその同志を一人でも多くつくることである。これが新しい時代を創る…

人間はこの辺でもう少し反省し、理性を回復し、人間の主体性・個性というものを確立して、落ち着いて、人間、世界というものを考え直す必要がある。みんなが喧々囂々と我れ勝ちに遅れまい負けまいと、押し合いへし合いしておったのでは、行きつくところは大…

最大の世界的恐怖は何かと申しますと、恐るべきといっていいほどの科学技術の発達が、ついに人類を全滅させるような核兵器をつくり上げたことです。今これをどう取り扱うかということについて、世界的に悶着を起こしているのでありますが、つい先だっても外…

智者は運命、絶対的な作用とは闘わない。それと闘ってもしょうがないからだ。同じように、法とも闘わない。同時に真理とも闘わん。それから勢いとも闘わない。勢いには時勢もあり、運勢もあり、いろいろの勢がある。一つの方向に向かって、絶対的な力をなす…

人間は現象的に煩雑になればなるほど、根源から遠ざかり、生命力が弱くなる。木でもそうですね。木というものはあまり枝葉が茂り過ぎたり花や実がつき過ぎたりすると、一時的には大そうさかんなように見えるけれども、実はそれによって木の生命力は非常に弱…

われわれの心境を養って、活眼を開かせてくれる。自ずから精神生活が豊かになる。精神が豊かになるから、行動も生活も仕事も、何もかもに余裕が出てくる。人間は仕事をするにも勉強するにも、特にこの身を持し世に処するには、余裕が必要です。 余裕があると…

人は徳に感ずる。情によって活きる。情の前にはいかなる苦労も忘れ、徳のためには死をも辞せぬものである。指導者は民衆のよくわからぬような理窟をこね廻したり、口角泡をとばして罵り騒ぐより、まずよく人情を解せねばならぬ。蕩然たる徳意、内に満ちて、…

自分は人に対して親切であるか、誠実であるかどうか。ちゃらんぽらんで人に付き合っておりやしないか。常に人に対して誠実であるかどうか。これは重大な問題です。事業人として、社会人として一番その信・不信の分かれるところは、人に対して誠実であるか、…

明治維新を成し遂げた西郷南洲(隆盛)という人は、名誉だとか地位だとか権勢だとか、そういうものを誇るということが一つもなかった。淡々として、どうかすると、非常に虚無的であった。こういう人こそ真実の人、真人であります。地位だの名誉だの権力だの…

まず最初に漢民族が困ったのは、黄河の氾濫である。つまり黄河の水処理に非常に苦しんだ。だから漢民族の始まりは、ほとんど黄河の治水の記録と言うていい。それで、いろいろ水と戦ったのだが、何しろあの何千キロという河ですから、紆余曲折して、ある所に…

人間はやはり常に先を慮り、反省をし、警戒をする、ということが大事であります。それは真心があれば必ずそうなるべきで、他人ならなんとも思わぬことでも、親は常に子に対して心配するのと同じことであります。それが人間精神、人間愛というもので、世の中…

学問というものを分類しますと、これは見地によっていろいろにできますが、学問のもっとも根本的性質による一つの分類をしますと、これを三つに分けることができます。一つは「知識の学問」です。これは今日の学問を代表するものと言ってよいでしょう。しか…

我々が本当に学問修養をしてゆこうと思ったならば、ただ漫然とありきたりの生活をしているわけにはゆかぬ。日常の経験というものをできるだけ正してゆかなければならぬ。あるいは物の真実に到達してゆかなければならぬ。そこで初めて事の知識、本当の自覚と…

普通は淡と言えば淡い。淡いというのはどういうことかと言えば、味がない、薄味のことだなんて解釈しています。しかしそんな解釈ならば、「君子の交わりは淡・水の如し」などは、君子の交わりというものは、水のように味がないとなってしまう。君子の交わり…

おそらく誰知らぬ者もない「廃人の奇蹟」はヘレン・ケラー Helen A.Kellerでしょう。この人はナポレオンとともに、十九世紀の奇蹟と言われた婦人です。これは生まれると二歳の時、脳膜炎をやって、眼も耳もだめになってしまった。これは実に悲惨なことです。…

人々が己一人を無力なもの「ごまめの歯ぎしり」とは思わず、いかに自分の存在が些細なものであっても、それは普く人々---社会に連関していることを体認して、まず自ら善くし、また自己の周囲を善くし、荒涼たる世間の砂漠の一隅に緑のオアシスを作ることであ…

青年は純潔であってほしい。清新であってほしい。教養の高い、しかも謙虚な、国民の誰からも有望な者であってほしい。それでこそ次代への希望が持てる。現代に対する失望から救われることができる。 現代は、われわれが今日経験している科学・技術による産業…

ケインズは「今日は非常に功利的となって、人間内容もきわめて打算的な人が多いが、人間の価値は、その人間が何を為したかより、その人がいかにあるべきかのほうが重大である。金をもち、地位があり、いろいろな事業をやったなどという人は世の中にたくさん…