安岡正篤

子供というものは、決して愛だけで満足するものではありません。愛と同時に、本能的に敬の心を持っておりまして、子供はその敬の対象を親に求めるわけであります。よく幼児が、父親の帽子をすっぽり顔までかぶったり、大きな靴をはいてよたよた歩いたりして…

二世紀半を超える江戸時代を通じて、その思想・学問・政治・文化に最も大いなる影響を与えたものは儒教である。儒教は、時代と人物によって随分その内容を異にし、容易に概論することはできないが、あえていえば、最も現実に即した倫理および政治に関する教…

中国の政道、これを一言にしていえば王道という。これは中国の最高の政治哲学です。この王道すなわち徳を根本にして政治をするという行き方に対して、どこまでも力を以て政治を行うのが覇道、これを〝王覇の弁〟といいますが、その王道を詳しくいいますと、…

ハーバード大学のグリユック教授が、十代の少年の非行犯罪を詳細に検討しまして、えらいことを発見した。それは十代のあらゆる非行犯罪はすでにその子供が小学校に入る前の五、六歳の頃にそのあらゆる因子が発見される。すなわち人間は、五、六歳の頃に教育…

呂新吾が自分はもとより人を救うために次の八字を去りたいというておる。第一は「躁心」---がさがさと落着きがない心。第二は浮気---うわついた気。第三は浅衷---浅はかな心。第四は狭量---度量がせまい。この八字四句を去らなければ人間は救われないという…

改めて自ら問おう。一体われらは何が出来るのか、何の役に立つかと。 ここにどれほど多くの人間が寄ったとて、その顔は悉くみな違う。天は人間に、その面の異るが如くそれぞれ独自の性質と才能とを賦与している。われ自らわれにかえって、われを究尽すれば、…

耐えるということについては名高い「四耐」がある。清末の名宰相、曾国藩を非常に尊敬し、敬慕した蒋介石総統はこの「四耐」と「四不」ということをよく言っておった。 四耐とは、「まず冷に耐える」こと。人間の冷やかなること、冷たいことに耐える。それか…

権力や名誉等に執着したり動かされたりすることなく、しかもそれを否定せずに悠然として自然にまかせてゆく。時来れば悠然として去る。そして去るにも留まるにも少しも煩悩や欲望の跡がない。こういう事を出処進退と申すのであります。 天の如く空しく、神の…

人間の真の楽しみ、真の幸福は、むしろ進んで自己をなにものかに捧げ、なにものかの犠牲にすることによって得られる。こんなささやかな、つまらない問題になんの意義があるか、そんなことをしたってろくなことはない、などとせっかくの善事を馬鹿にして、行…

達人というものは、性質が真っ直ぐで、名や利を好むのではなくて、人間がいかにあるべきか、また為すべきか、という義を好み、人の言うこと・主張することをただ言葉どおりに聞くのではなくて、よくその言葉の奥を察して真実を見究め、万事心得たうえで謙遜…

世の中には有為・有能な人物であるにかかわらず、人に好かれぬというような人もおります。そういう人間について矯正法があります。こういう人物は必ず何か人に好かれぬ癖があるものなのです。そこを直せばよい。 一、初対面に無心で接すること。 有能な人ほ…

一日二十四時間、朝のあと、昼、夜があると考えるのは、死んだ考え方である。活きた時間というのは朝だけだ。言い換えれば本当の朝を持たなければ一日だめだという。これはそのとおりだ。だから朝寝坊するのは、一番いけない。昔から優れた人で朝起きでない…

単なる理屈や興味や打算などで、自己を新しく改造することはできない。本当の自分にならないと駄目です。自分を疎かにせず、本当の自分にかえって来なければ、自己の改造はできない。たいていの人間の禍は、自分を疎かにするということです、自分を棚に上げ…

人生の出来事というものも、たとえば何が幸いであり、何が禍であるかは、容易に分からぬ。凡俗の浅薄な考えで、これは幸福だ、これは禍だとすぐ決めるが、人生・自然・天・神の世界の真実・理法は、そんな単純な、あるいはいい加減なものではない。「人間万…

情は人間をそのままに表す心である。だから情を「まこと」ともよむ。もっとも、情を偽るということもあるが、理ほどではない。理のあてにならないのは、どうにでも弄ぶことの出来るところにある。かれも一理、これも一理、各人の立場立場によっていかように…

現代社会を善くするためには、俗流に屈しない有志者グループの必要がある。内面生活という私的な、隠れた、容易に他人と分けあうことのできないものがあらゆる独創性の源泉であり、高貴な行動の出発点である。現代の乱雑と騒擾との中にあっても、精神の自由…

大体人類がこの地上にあらわれて少なくとも二十万年と言われます。赤ちゃんの年齢を二十万歳と申すのはその故でありますが、特に人間らしい生活をするようになってから五千年であります。この五千年の間におきた出来事を調べてみますと、本質的にはすでに経…

大体人間のすることはうそが多いというので、「人が為す」と書いて「偽」という字ができておる。この偽という字は、一つの意味は人為という意味で、その次の意味はうそです。人間のすること、技術、これは大事なものですが、けれどもこれはやがて往々にして…

私たちの両親はたった二人でありますが、十代遡りますと百万を超え、三十代遡りますと十億を超えます。だからたとえば私達の肉体、生命、存在はそれこそたいへんな数の先祖の産物であると考えますと、その何億という先祖が考えたり、行ったりしたことのエネ…

考えてみれば、因果の成り行きは実に恐ろしいものであります。世の多くの人々はみな、金が欲しい、地位が欲しい、名誉が欲しい、と一生懸命やっておるが-----恐らく誰しもその家、その子孫のためと思うてやっておるに違いない-----ところが何ぞ知らん、その…

氷山は八分の一が上に出ていて、水の中にその七倍もの潜在氷塊があるのですが、人間の潜在意識というのは無限の祖先から伝わってきておるのだから、氷山どころの騒ぎじゃない。われわれの意識、われわれの知覚なんてものはほんの一部分で、潜在意識、潜在精…

人の人たるゆえんは、実に「道徳」を持っておるということです。そしてそれは「敬」するという心と「恥」ずるという心になって現れる。いくら発達した動物でも、敬するとか、恥ずるとかいう心はない。これは人間にいたって初めて神が与えたものなのです。敬…

いつの時代でも世が衰える時ほど必要なものは、群集の動きや軽薄な大衆に迎合しない、屈服しないで、みずから信ずるところを修めてこれを行じようというところの篤志家、先覚者であり、またその同志を一人でも多くつくることである。これが新しい時代を創る…

人間はこの辺でもう少し反省し、理性を回復し、人間の主体性・個性というものを確立して、落ち着いて、人間、世界というものを考え直す必要がある。みんなが喧々囂々と我れ勝ちに遅れまい負けまいと、押し合いへし合いしておったのでは、行きつくところは大…

最大の世界的恐怖は何かと申しますと、恐るべきといっていいほどの科学技術の発達が、ついに人類を全滅させるような核兵器をつくり上げたことです。今これをどう取り扱うかということについて、世界的に悶着を起こしているのでありますが、つい先だっても外…

智者は運命、絶対的な作用とは闘わない。それと闘ってもしょうがないからだ。同じように、法とも闘わない。同時に真理とも闘わん。それから勢いとも闘わない。勢いには時勢もあり、運勢もあり、いろいろの勢がある。一つの方向に向かって、絶対的な力をなす…

人間は現象的に煩雑になればなるほど、根源から遠ざかり、生命力が弱くなる。木でもそうですね。木というものはあまり枝葉が茂り過ぎたり花や実がつき過ぎたりすると、一時的には大そうさかんなように見えるけれども、実はそれによって木の生命力は非常に弱…

われわれの心境を養って、活眼を開かせてくれる。自ずから精神生活が豊かになる。精神が豊かになるから、行動も生活も仕事も、何もかもに余裕が出てくる。人間は仕事をするにも勉強するにも、特にこの身を持し世に処するには、余裕が必要です。 余裕があると…

人は徳に感ずる。情によって活きる。情の前にはいかなる苦労も忘れ、徳のためには死をも辞せぬものである。指導者は民衆のよくわからぬような理窟をこね廻したり、口角泡をとばして罵り騒ぐより、まずよく人情を解せねばならぬ。蕩然たる徳意、内に満ちて、…

自分は人に対して親切であるか、誠実であるかどうか。ちゃらんぽらんで人に付き合っておりやしないか。常に人に対して誠実であるかどうか。これは重大な問題です。事業人として、社会人として一番その信・不信の分かれるところは、人に対して誠実であるか、…