happykobe2005-10-04

論語』では「敬」ということを非常に大切に説いているんですが、『孟子』はむしろ「恥」というものを掴(つか)まえて、人間が恥じるという心を養えば、それで人間は必ず救われる。人間が恥じるという、恥に耐えないという心を養いさえすれば問題はない。だからこれを養えばいいのだ、これが、孟子がつねに力説していたことでありました。
子供が成長していく過程を見ても、非常に著しく現れるのが、「恥じる」「恥ずかしがる」ということです。人間の性格の基礎は三歳頃から五、六歳ぐらいまでの間に大体できる。ここからは学齢、学校へ入ってまず十六、七歳ぐらいで大体人格としてできてしまう。人格の根底はその際にできる。数えの三つぐらいになると、子供は非常に恥ずかしがる。これをうまく養成すれば、うまく培養すれば、非常に人間らしい人間、立派な人間になる。これに「敬」の対象を与えることによって、すなわち「敬することを知らしめる」ことによってますます立派になる。良く作用する。ここから道徳心が生まれ、それを根本にして宗教心というものに発展するのであります。
その反対に、恥を失う、恥じなくなるということになると、もうそれで致命的、人格、道徳として致命的な欠陥になる。つまり孟子はそれを説いているわけであります。