安岡正篤

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原理原則の1 物事というものは、すべて時運というものやら、機縁というものやら、その他いろいろとあって、生まれるのであります。原理原則の2 各々の自己が、利己主義・自己主義に走らないで、他に対して、全体に対して、立派に分を守る、これが礼であり…

ただ金さえもうければよい、事業をおこせばよい、帳尻を合わせればよい。経済成長率だの、県民所得の増加であるの、貯蓄の累積であるのというようなことだけでは何にもなりませぬ。そんなことはひとたび大いなる変化がおこりましたならば、吹っ飛んでしまう…

この頃よくいわれますことは、ナショナリズムということはいけない。しかしナショナリティというものは大事である、とこういうことがいつも論ぜられるようになっておりますが、なぜナショナリズムというものがいけないかと申しますと、これは自分の国民だけ…

第一の人間たるの本質的要素とは何ぞや。これは「徳性」というものでありまして、平たい言葉で申せば、素直で、明るく、清い。人を愛し、助ける、人のために尽くす、或いは報いる。又いかなることにも堪える、忍ぶ。従って努める、努力する。 こういうものは…

或る人を、ほんのその場の、一面だけを見て、その人の枝葉末節を取上げて、あれはこうだというのと、その人の生活・行動を長い目で見て、その人のいろいろの面を観察して、その人の根本、心の持ち方、その人の親・兄弟からのいろいろのかくれたこと、などを…

世の中が大衆化すればする程、その大衆のためにエリートが必要である。必要なばかりでなく、益々エリートが出て来る。 なんとなれば大衆というものは政治性・政治能力というものを持たない。大衆はその場その場、その日その日の自分の生活そのものに生きてお…

人間の脳というものは、いくら使ってもくたびれないばかりでなく、難しいことに使えば使うほど機能が優れてくる。つまらないことに使っておると退化する。だから子供はいくら早くてもよいから、難しいことを遠慮なく教えるが宜しい。そんなことは子供の頭に…

我々の生活は他の動物とは違う。人間であればあるほど、教養があればあるほど、単なる運命ではなくなって、命、絶対的なものになる。そして絶対的なものになるほど価値があるわけです。だから一切のことは運命である、と言っても少しも間違いではない。 然し…

万物の霊長たる人間には、いかなる霊妙な能力があるか測り知れないのであります。修養のしかたによっては、人間はいかなる能力があるかわからぬほど貴い。研究すればするほど、人間の美質は発見せられ能力が発揮せられるのである。学校の成績が三十点でも四…

「勢交」・・その時世に勢力のある人間との交際。こういうやつは、勢力が移り変わるとどんどん離れていってしまう。 「賄交」・・いろいろ賄賂(わいろ)を贈ったり、寄付したり、何かそういう関係で仲良しになる、交際する。今日もまたこの賄交に目に余るも…

人間が腹を立てる、ことにこせこせした自分の欲望、自分の小さな感情から忿(いか)ると非常に肝臓、胆嚢(たんのう)というような器官に変調を生じ、血液に一種の毒素を生ずるそうである。喜ぶということはその意味において、反対に毒素を消滅してしまう。…

人間というものは不精なものでありまして、早起きして、たまにはどこか回り道して歩いてみるのもいいんだが、そうすると十分ばかり損をするとか、何とかけちなことを考えて、結局は決まりきったコースで行ってしまうし、読書にしたって、自分は銀行マンであ…

恩を施(ほどこ)すということは非常によいことである。しかし報(むく)いを求めることはいけない。施した恩に対して報いを求めると、その恩が仇(あだ)になる。自分が善をなす、それを人に知られることを求めるというのは、それはすでに不善な気持ちであ…

事業でも、力づくでやっておると、いずれ競争になって困難になる。事業が人間性から滲み出た、徳の力の現れであれば、これを徳業といいます。事業家は進んで徳業家にならないといけないのです。また、その人の徳が、古に学び、歴史に通じ、いわゆる道に則(…

健康であれば、そんなに長時間眠る必要はない。睡眠七時間、私は八時間眠らないとなんていうのは、あれは愚者の言うことで、本当の生理の分からん者の言うことである。あるいは非常に虚弱者の言うことである。虚弱者というのは往々にして不鍛錬、鍛錬しない…

やはり、人間は真実に帰らなければならん。真実に帰るというのは、「天人合一(てんじんごういつ)」のことであります。私たちのあらゆる環境、あらゆる経済的、外面的なものは一切天に内在する。そこからみな流れ出ている。つまり人間というものは天に帰し…

人間というものは自分はどれほど馬鹿でも、人を責めることはよく出来るものである。反対にどれほど頭がよくても、自分をゆるすということになると、全くわからない。常に人を責めるような心で自分を責め、自分をゆるすような心で人をゆるせば、聖賢の地位に…

われわれ人間には三つの原則があります。第一は自己保存ということ。身体の全機能・全器官が自己保存のために出来ておる。第二は種族の維持・発展ということ。腎臓にしても大脳にしても、あらゆる解剖学的全機能がそういう風に出来ている。第三には無限の精…

ベルリンの医科大学の皮膚科で東洋の人相の書物を集めておるというので、調べたところ、顔面皮膚は身体のどの部分よりも鋭敏で、体内のあらゆる機能が集中しておる。従って体内の状態がことごとく顔面に現われる。それが東洋の人相の書物にすべて出ておると…

人間、如何なる誘惑を受けても、如何なる迫害を受けても、最後に一つ為さざるところがなければならぬと言う。 人間というものは、誘惑されたり、脅迫されたり、いろいろされると、すぐ心ならぬことも為してしまう、大事な把握するところを失ってしまう。そこ…

死んだ親父のことを先考と言う。これは「考える」ということと同時に、「成す」という意味を持っている。 何故亡き父を先考というか。親父が亡くなってみると、或いは亡くなった親父の年になってみると、なる程父はよく考えておった、と親の心がよく解る。ま…

兎に角先ず自らが自らに反る。志ある人々が先ず自らに反って、石に躓(つまず)けば、こんちくしょうと石を蹴飛ばさずに、自分が過ちであったことを省みる、恥ずる。そういう心の持ち方、考え方でゆく。そして自分が本当の自分に反った時にはどうなるか。 人…

こうして今日われわれが生きておること自体、これは偶然というか、不思議なのであります。毎日のように車にはねられて死んだり、怪我をしたり、その中には、将来随分偉くなる人もありましょうし、又現在立派な仕事をしておる人もたくさんある。そういうこと…

医療が応病与薬であるように、教育・学問というものもみなその人その人に応じて具体的に、個性的に行われねばならない。決して抽象的・一般的に行われるべきものではない。 知識などというものは普遍妥当的ということがあり得るわけでありますから、実践的・…

アレキシス・カレルは、偉大な医学者であって、哲学者・人類の教師とも言うべき人でありますが、こういうことを言っております。 われわれの真の健康・体力・生命力というものは、単なる体格だとか、身長だとかいうものとはまるで違う。十分に考慮せられた栄…

その物の存在にどういう効用があり、意味があるか、ということをつきとめるのが、これを物質で言えば、自然科学であり、人間で言えば、哲学・道徳学、広い意味の人間学というものであります。自然の物質にして、已に量るべからざる思いがけない意義・効用が…

人間何かになりたがるということは、それ自体意義のあることでありますが、然しそれは決して第一義ではありません。成(な)る可(べ)く潜在的生命を全うする。言い換えれば、無限定でありたいというのが生命本然の姿であります。その意味ですでに成長する…

人間はいろいろの現実の活動を営むうちに、必ずそこから進化と同時に中毒が始まる。つまりあたるわけです。生きんとして生きることにあたる。中毒は影の形に伴うが如く生に伴うものでありまして、従って生の作用が活發であればあるほど、中毒も亦活發でであ…

もっともよく自らの内に真剣に学ぶ者が、もっとも真剣に世を動かすことが出来る。 だから本当の国家・世界の進歩というものは、必ずもっとも個人的・個性的内面生活を通じて初めて出来る。その意味で青年よりも少年、もっと徹底して言うならば少年より幼年、…