happykobe2005-10-06

たいていの人間は、何か少し得たり、所有するところがあると、すっかりいい気になるものである。最も低級な人間は、財産、名誉、その次は権勢、そういうものを持つと、すっかり鼻を高くしてしまう。何か自分自身が偉くなったような気がする。これは小人の常であります。そういうものを身につけても、一向そういうものによって自分自身が別に何を加えたわけでもないので、省みて、むしろそういうものを持てば持つほど、自らの本質的なものの足りなさ、欠陥を覚える。これは確かになかなかあり得ないことで、相当な人でないとそうはいかんものであります。
人生の表面的なもの、形式的なもの、後天的なものに、尊重はするが決して執着しない。あるいは進んでそれに本質的な価値をそれほど置かない。人の世の中のありふれたもの、生活の方便、生活の形式、そういったものに本質的な価値を置かないで、根底に何かそういうものの儚(はかな)さ、無力さ、無価値さを感じ、むしろ富貴に処すれば処するほど、富貴というものを煩わしいものとさえ考えるのであります。いかに富んでも、いかに権要の地位についても、どこかその根底に虚無的なものを持っている。これは東洋の最大の魅力です。
生きるということに執着を持たない。ここに東洋的魅力を見ることができるのであります。現実は現実としてその意義を十分に尊重しながら、その根底において何らの執着を持たない、という非常に格調の高い、充実した虚無的自覚です。