happykobe2005-10-07

この宇宙、この人間というものが、存在し活動しておる所以のもの、これあって天地も人間も存在し生活することができる、これがなければ、宇宙も人間も存在することも、活動することもできない所以のもの、これを「道」というのであります。一切はこれによって存在しておる。道によって存在しておる。この道が特に宇宙造化の一部分であるところの人間に現れて、これあるによって人間が存在できる。これがなければ人間は存在も生活もできない。ちょうど天地人を通ずる道のごときもので、その道の人間に発したるものを称して「徳」と言う。そしてこれを結んで「道徳」と言うのであります。
だから、われわれが今日使っておる道徳という言葉と、東洋哲学本来の道徳という言葉とは全然違います。深さも範囲も非常に違うわけであります。今われわれが使っておる道徳というのは西洋の道徳、エシックスだとかあるいはモラル、モラリティ、そういったような西洋哲学の概念の訳語です。宗教だとか芸術だとか経済だとかいうものと同位の概念であります。
しかし、東洋の道徳というのは、そういう意味ではない。宇宙、人生の、よってもって存立し、これがなければそういうものが存立、活動することができない所以のもの、すなわち宇宙、人生への本質をなすものが道徳であります。この中へすべてが入る。この道徳が、道・徳が、人間の社会生活に現れていろいろの仕事になる。政治だとか経済だとか教育だとか産業だとか、いろいろなものになる。