happykobe2005-09-25

昔は馬の走る速さで満足しておりましたが、今日では急行列車、特急列車、新幹線もまだ遅く感じられ、電報などじれったい。耳はオーケストラの全音量を要求し、ひどい不協和音を受け入れ、トラックのとどろきや、機械の叫びや唸り声に慣れ、それらの騒音が音楽会で演奏されることをさえ望むのです。
また、不眠症の流行がはなはだしく、世界にもはや人工的な睡眠しかとれない者が実に多い。彼らは虚無の状態に陥るために、化学工業の精妙な援助を必要とするというわけであります。
また、事件というものが、今日では一種の食物として要求されており、その味つけがまだ足りないことを始終不満に思っておる。例えば朝起きて、世界に何か大きな問題が起こっておらないと、何だか一種の空虚を感じて、今日の新聞には何もないと言う。そういう事実から、人間の感覚が、現代においては頽廃しつつあるということを確認することができましょう。われわれは何かを感ずるために、昔よりさらに強い刺激、さらに大きなエネルギーの消費を必要とするということは、われわれの感覚の繊細さが一時は洗練されておった時代もありましたが、今やまた衰え、あるいは病的になりつつあることの証拠であります。