happykobe2005-10-10

人間とは、自分の欲望、自分の趣味に任せて何でもやり、油断をすると「為さざるなきなり」、何をするかわかったものでない。何でもしでかす。このごろの犯罪を見ても、病人を見ても、まったくこれは「為さざるなきなり」と、もう何でもやってのける。しかし、その中にあって、世の中がどうなっておろうが自分はこういうことはしないんだというのが、「為さざるあるなり」である。これは理性と意思の力によって初めてできる。つまり、だらしのない人間の欲望や興味にまかせる生活に一つの締めくくりを与える。節をつけることである。それで初めて人間に「道」というものが立つ、これを義という。これを結んで「節義」と言います。
これはやっぱり、人に上に立つ者がお手本を見せるよりほかはありません。ただ非難してみても、批評してみてもしようがない。家庭にあってはやっぱり親が、学校にあっては先生が、社会にあってはやはり上に立つ地位に人々、特に為政者・政治家というような人がお手本を示さなければなりません。