2005-09-01から1ヶ月間の記事一覧

人間で言うと男と女の二種類があるわけですが、どっちが造化、自然そのままであるか、自然によく似ておるか。これは言うまでもなく男よりは女である。男はいかなる英雄・哲人といえども子供を産むことだけはできん。これは女の本領であります。 子供を産むと…

昔から言うように、われわれは住むにも着るにも食べるにも、その土地でその時にできるものを食べておるのが一番いい。これを時食という。春は春らしいものを、秋は秋らしいものを食べておるのがいいんで、温帯は温帯のものを食っておればいい。寒帯は寒帯の…

真の指導者は必ず謙虚で、私がなく、自己の利害・欲望によって汚されない良心から起つべきものであって、社会の善のために、また人類の幸福と進歩のために指導し、私心を満たすためにするのではない。賢明な指導者はまた必ず自分ばかりでなく、他のエリート…

交通戦争と言われるように自動車事故が非常に増えましたが、医者の統計によりますと、事故を起こす者は大体において我が強く、せっかちで、目先のことに夢中になるという共通した性癖の者であると申します。そしてこの性格の者は一度ならず二度も三度も、繰…

国家内外の問題も、突き詰めてみると、結局、心である、つまり人であるということです。いろいろの座談会などで、地方の指導者たちがさまざまな質問をしてくるその最後は、要するに「人を求めておる」という一語に尽きる。今日の日本に何が欠けておるのかと…

昔は馬の走る速さで満足しておりましたが、今日では急行列車、特急列車、新幹線もまだ遅く感じられ、電報などじれったい。耳はオーケストラの全音量を要求し、ひどい不協和音を受け入れ、トラックのとどろきや、機械の叫びや唸り声に慣れ、それらの騒音が音…

佐藤一斎の「言志四録」の『言志録』一三七にこういう箴言があります。 自分の体は天からの授かりもので、死ぬとか生まれるといった権利はもともと天にあるのだから、逆らわずに畏れもせずに、従順に天命を受けるのは当然なことである。われわれが生まれるの…

「児童憲章」 人間進化の機微は胎児に存する。胎児はまず最も慎重に保育されねばならぬ。 児童は人生の曙である。清く、明るく、健やかなるを尚ぶ。 児童に内在する素質、能力は測り知れぬものがある。夙くより啓発と善導を要する。 習慣は肉体となり、本能…

「父母憲章」 父母はその子供のおのずからなる敬愛の的であることを本義とする。 家庭は人間教育の素地である。子供の正しい徳性とよい習慣を養うことが、学校に入れる前の大切な問題である。 父母はその子供の為に、学校に限らず、良き師・良き友を択んで、…

家庭は団欒、したがって対話、会話というものが非常に内容をなすものだが、その立場から見ると、家庭にはいろいろのタイプがある。 例えば、批評型というのがある。家庭の者が集まると何だかんだと人の批評ばっかりする。親戚、交友から始まって、とにかくい…

青年というものは、まだ思慮も経験も熟さん、純真である。それだけに危険である。往々にして方向を誤る。問題、人事というものに熟さんから、思索・判断を誤る。それゆえに危険であります。 そこで、どうしても先輩・長者というものと相俟たなければいかん。…

結局人間は、人にばかり求めても仕方がない、己を修めなければいけないということであります。自分をおさえる、いい換えると克己であります。 自分、家庭、周囲をうまくやっていこうと思いますと、どうしても克己---己に克つということがなければなりません…

自分自身というものは決して断片的に存在するものではなくて、この今日の自分自身の生は悠久の生命の流れの中に位置しておるのである。したがって何が生じてくるかわからぬし、また自分の影響がいつどこへどういうふうに伝わってゆくかわからない、そういう…

人間というものは、日用心法、片言隻句といって、そう機械的なものではない。たまたま膝を交えて話をした、一緒に一献酌み交わした時に、何心もなく言うた一語に、君はなかなかいいことを言うね、見直したよというようなことから、大いに話が進む。そうかと…

夜が明けたならすぐ起きる。しかもフラーッと起きるのじゃない。即起である。目を覚ましてすぐ起きられるというのは、医学的・生理的に言うてもこれは健康な徴です。目は覚めたけれど何やら霑恋する、ぐずぐずしとるというのは、意識が朦朧としている、これ…

私たちは空気を吸わなければ生きておれない。すぐ死んでしまう。その大切な空気がだんだん文明の発達、近代都市化することによって非常に悪化している。いわゆるメガロ化現象によって大衆が過密化し、機械化してくる都市ほど、今や清浄な空気などというもの…

理にもいろいろあります。 論理というのは、実は最も抽象的、概念的であるから、これは当てにならん。思索になれない人は言い負かされて、心の中では「そうじゃない」と合点できなくても、黙してしまうことが多い。頭ではやむを得ないけれど、心の中では感情…

世の中は、これでもか、これでもかというように、とくにこの頃はサービス産業、大衆娯楽産業が発達し、現代人はますます自己を失いやすくなっておる。昔の産業は近代経済学の分析でいうと、第一次産業といって、土をひっくり返して、稲や麦や野菜をつくると…

子供というものは、決して愛だけで満足するものではありません。愛と同時に、本能的に敬の心を持っておりまして、子供はその敬の対象を親に求めるわけであります。よく幼児が、父親の帽子をすっぽり顔までかぶったり、大きな靴をはいてよたよた歩いたりして…

二世紀半を超える江戸時代を通じて、その思想・学問・政治・文化に最も大いなる影響を与えたものは儒教である。儒教は、時代と人物によって随分その内容を異にし、容易に概論することはできないが、あえていえば、最も現実に即した倫理および政治に関する教…

中国の政道、これを一言にしていえば王道という。これは中国の最高の政治哲学です。この王道すなわち徳を根本にして政治をするという行き方に対して、どこまでも力を以て政治を行うのが覇道、これを〝王覇の弁〟といいますが、その王道を詳しくいいますと、…

ハーバード大学のグリユック教授が、十代の少年の非行犯罪を詳細に検討しまして、えらいことを発見した。それは十代のあらゆる非行犯罪はすでにその子供が小学校に入る前の五、六歳の頃にそのあらゆる因子が発見される。すなわち人間は、五、六歳の頃に教育…

呂新吾が自分はもとより人を救うために次の八字を去りたいというておる。第一は「躁心」---がさがさと落着きがない心。第二は浮気---うわついた気。第三は浅衷---浅はかな心。第四は狭量---度量がせまい。この八字四句を去らなければ人間は救われないという…

改めて自ら問おう。一体われらは何が出来るのか、何の役に立つかと。 ここにどれほど多くの人間が寄ったとて、その顔は悉くみな違う。天は人間に、その面の異るが如くそれぞれ独自の性質と才能とを賦与している。われ自らわれにかえって、われを究尽すれば、…

耐えるということについては名高い「四耐」がある。清末の名宰相、曾国藩を非常に尊敬し、敬慕した蒋介石総統はこの「四耐」と「四不」ということをよく言っておった。 四耐とは、「まず冷に耐える」こと。人間の冷やかなること、冷たいことに耐える。それか…

権力や名誉等に執着したり動かされたりすることなく、しかもそれを否定せずに悠然として自然にまかせてゆく。時来れば悠然として去る。そして去るにも留まるにも少しも煩悩や欲望の跡がない。こういう事を出処進退と申すのであります。 天の如く空しく、神の…

人間の真の楽しみ、真の幸福は、むしろ進んで自己をなにものかに捧げ、なにものかの犠牲にすることによって得られる。こんなささやかな、つまらない問題になんの意義があるか、そんなことをしたってろくなことはない、などとせっかくの善事を馬鹿にして、行…

達人というものは、性質が真っ直ぐで、名や利を好むのではなくて、人間がいかにあるべきか、また為すべきか、という義を好み、人の言うこと・主張することをただ言葉どおりに聞くのではなくて、よくその言葉の奥を察して真実を見究め、万事心得たうえで謙遜…