2005-10-01から1ヶ月間の記事一覧

恩を施(ほどこ)すということは非常によいことである。しかし報(むく)いを求めることはいけない。施した恩に対して報いを求めると、その恩が仇(あだ)になる。自分が善をなす、それを人に知られることを求めるというのは、それはすでに不善な気持ちであ…

事業でも、力づくでやっておると、いずれ競争になって困難になる。事業が人間性から滲み出た、徳の力の現れであれば、これを徳業といいます。事業家は進んで徳業家にならないといけないのです。また、その人の徳が、古に学び、歴史に通じ、いわゆる道に則(…

健康であれば、そんなに長時間眠る必要はない。睡眠七時間、私は八時間眠らないとなんていうのは、あれは愚者の言うことで、本当の生理の分からん者の言うことである。あるいは非常に虚弱者の言うことである。虚弱者というのは往々にして不鍛錬、鍛錬しない…

やはり、人間は真実に帰らなければならん。真実に帰るというのは、「天人合一(てんじんごういつ)」のことであります。私たちのあらゆる環境、あらゆる経済的、外面的なものは一切天に内在する。そこからみな流れ出ている。つまり人間というものは天に帰し…

人間というものは自分はどれほど馬鹿でも、人を責めることはよく出来るものである。反対にどれほど頭がよくても、自分をゆるすということになると、全くわからない。常に人を責めるような心で自分を責め、自分をゆるすような心で人をゆるせば、聖賢の地位に…

われわれ人間には三つの原則があります。第一は自己保存ということ。身体の全機能・全器官が自己保存のために出来ておる。第二は種族の維持・発展ということ。腎臓にしても大脳にしても、あらゆる解剖学的全機能がそういう風に出来ている。第三には無限の精…

ベルリンの医科大学の皮膚科で東洋の人相の書物を集めておるというので、調べたところ、顔面皮膚は身体のどの部分よりも鋭敏で、体内のあらゆる機能が集中しておる。従って体内の状態がことごとく顔面に現われる。それが東洋の人相の書物にすべて出ておると…

人間、如何なる誘惑を受けても、如何なる迫害を受けても、最後に一つ為さざるところがなければならぬと言う。 人間というものは、誘惑されたり、脅迫されたり、いろいろされると、すぐ心ならぬことも為してしまう、大事な把握するところを失ってしまう。そこ…

死んだ親父のことを先考と言う。これは「考える」ということと同時に、「成す」という意味を持っている。 何故亡き父を先考というか。親父が亡くなってみると、或いは亡くなった親父の年になってみると、なる程父はよく考えておった、と親の心がよく解る。ま…

兎に角先ず自らが自らに反る。志ある人々が先ず自らに反って、石に躓(つまず)けば、こんちくしょうと石を蹴飛ばさずに、自分が過ちであったことを省みる、恥ずる。そういう心の持ち方、考え方でゆく。そして自分が本当の自分に反った時にはどうなるか。 人…

こうして今日われわれが生きておること自体、これは偶然というか、不思議なのであります。毎日のように車にはねられて死んだり、怪我をしたり、その中には、将来随分偉くなる人もありましょうし、又現在立派な仕事をしておる人もたくさんある。そういうこと…

医療が応病与薬であるように、教育・学問というものもみなその人その人に応じて具体的に、個性的に行われねばならない。決して抽象的・一般的に行われるべきものではない。 知識などというものは普遍妥当的ということがあり得るわけでありますから、実践的・…

アレキシス・カレルは、偉大な医学者であって、哲学者・人類の教師とも言うべき人でありますが、こういうことを言っております。 われわれの真の健康・体力・生命力というものは、単なる体格だとか、身長だとかいうものとはまるで違う。十分に考慮せられた栄…

その物の存在にどういう効用があり、意味があるか、ということをつきとめるのが、これを物質で言えば、自然科学であり、人間で言えば、哲学・道徳学、広い意味の人間学というものであります。自然の物質にして、已に量るべからざる思いがけない意義・効用が…

人間何かになりたがるということは、それ自体意義のあることでありますが、然しそれは決して第一義ではありません。成(な)る可(べ)く潜在的生命を全うする。言い換えれば、無限定でありたいというのが生命本然の姿であります。その意味ですでに成長する…

人間はいろいろの現実の活動を営むうちに、必ずそこから進化と同時に中毒が始まる。つまりあたるわけです。生きんとして生きることにあたる。中毒は影の形に伴うが如く生に伴うものでありまして、従って生の作用が活發であればあるほど、中毒も亦活發でであ…

もっともよく自らの内に真剣に学ぶ者が、もっとも真剣に世を動かすことが出来る。 だから本当の国家・世界の進歩というものは、必ずもっとも個人的・個性的内面生活を通じて初めて出来る。その意味で青年よりも少年、もっと徹底して言うならば少年より幼年、…

革命家というと、一般に理想的解釈をするのでありますが、あらゆる革命家に共通してあるものは実に権力欲というものであります。このためにはなにものを犠牲に供してもはばからぬという非人間性であります。これは近代諸国家の革命を見ても、共通の真理であ…

もう駄目だということになったならば、一ぺんそれをおっぽり出してしまうのが宜しい。どうせ駄目なものなら、悶えておっても仕方がないから、これは成行きにまかせてうまくやるより外にはない。 禅家の言葉で言えば随波逐浪(ずいはちくろう)ということです…

人間が禽獣的・動物的段階からだんだん発達してくるにつれて、何が善であるか、美であるか、あるいは神聖であるか、真実であるかといった価値観・理想が考えられるようになってきた。動物と違うようになってきた。そこに自然自然に生まれてきたものが道徳で…

人間とは、自分の欲望、自分の趣味に任せて何でもやり、油断をすると「為さざるなきなり」、何をするかわかったものでない。何でもしでかす。このごろの犯罪を見ても、病人を見ても、まったくこれは「為さざるなきなり」と、もう何でもやってのける。しかし…

「識」には三つある。一つは「知識」で、これは一番つまらん。雑識と言いますけれど、今日で言うとディレッタントというもの、これはあまり値打ちがない。人間には単なる知識ではなく「見識」、価値判断が大事である。見識がなければ語るに足らん。ところが…

自分というものは信じないで、自分の持っている地位で、或いは物的財産というようなもので終始取扱われる、評価される。それは自分そのものを信用されるのとは非常に違う。人に使われるにしても、君はこういう人物だ。君の人物を見込んで任命しよう。ここで…

この宇宙、この人間というものが、存在し活動しておる所以のもの、これあって天地も人間も存在し生活することができる、これがなければ、宇宙も人間も存在することも、活動することもできない所以のもの、これを「道」というのであります。一切はこれによっ…

たいていの人間は、何か少し得たり、所有するところがあると、すっかりいい気になるものである。最も低級な人間は、財産、名誉、その次は権勢、そういうものを持つと、すっかり鼻を高くしてしまう。何か自分自身が偉くなったような気がする。これは小人の常…

日本人が民族としていろいろ優秀なる素質を持っていることは説明するまでもありません。頭も良い、気力もある、いろいろの才能もある。仕事をさせればなかなかできる。思想でも学問でも、やらせれば大したものであります。それは今も変わりません。 日本人の…

『論語』では「敬」ということを非常に大切に説いているんですが、『孟子』はむしろ「恥」というものを掴(つか)まえて、人間が恥じるという心を養えば、それで人間は必ず救われる。人間が恥じるという、恥に耐えないという心を養いさえすれば問題はない。…

現代の世の中・文明というものが、このように非常に物質化、機械化して、しかもあらゆる発明発見が発達して、世界が一つとか言われているように有機的に緊密に組織されてしまって、通信・交通いろいろのものが発達する。文明生活の内容が非常に複雑豊富にな…

道とか教えとか真理というものは、非常に微妙なものです。それはその時、その場においては何のこともないようでも、ちょうど花の花粉とかあるいは種子などが、どうしていったいそういうことになるのか、ほとんど予測できないことと非常に似ております。日本…