2005-07-01から1ヶ月間の記事一覧

自分があるから敵がある。自分がなければ敵もない。敵というのはもともと対立するものの名である。それは丁度陰と陽、水と火といった類と同じである。およそ物の形あるものは必ずそれに対立するものがある。自分の心に形がなければ従って対立するものもない…

どれだけ才覚があっても、独学独習でやっておると、得てして自分免許になり勝ちで、思いの外の失敗をしでかすものであります。これは正道を知らぬからで、やはり人間はどうしても本筋の師匠について、本格の修行をしなければならない。

私どもに一番大切なことは、我々がいかに無力であるように見えても、自然の一物でさえも実に神秘な素質・能力を持ち、これを科学にかけると限りなき応用があるように、いわんや人間にはどんな素質があり才能があって、我々の学問・修養のいかんによっては、…

人間はみな職業を持っております。社会学者は職業に二つの意味を説いている。その一つは、それによって生活を営む手段とすることである。しかしこれは誰しも免れない条件ではあるけれども、それだけでは尊い意味はない。職業の大切なことは、それが生活の手…

兎角人間というものは、自分の素質、能力、立場、そういった実存というものを離れて、何かユートピアといったものを心に画いて、空虚な存在に自分を持って行ってしまう。そうすることが結局自分の生活を難しくしてしまうのであります。 だから自分の素質、及…

人間の美というものは、その人間の素、生地にある。性質から言えば素地・素質にある。これを磨き出すことが一番であります。いろいろのものをつけ加えるということではなくて、その人間の素質を生き生きと出すようにするのである。と言っても、持って生まれ…

大自然というものは、小さく限定された、いじましいものではなくて、悠々迫らず、常に限り無く創造変化して已まぬ。そして常に無限であります。所謂無であります。 そういう人格をつくり上げる。権力や名誉等に執着したり動かされたりすることなく、しかもそ…

人間というものは自分の立っておるその場に即して、そこから考え、そこから実践しなければ、結局それは所謂足が地を離れて抽象的になり、空論になってしまう。 処が自分の立場、自分の存在に自信のないもの程、その立場から遊離し易く空想し易い。本当に思索…

馬鹿殿様というのはこれは決して軽蔑した言葉ではなくて、賛美の言葉であります。大勢の家来を包容してその上に坐って、これを統率して行く。こういう事は余程馬鹿にならぬことにはつとまるものではない。馬鹿殿様にしてはじめて名君たり得るのであります。 …

中国や日本の歴史を見ますと、本当に人間味豊かなものがあります。人間性という点から考えると、現代社会はすべてに機械化し組織化して、人間味が希薄になり、非人間的になっています。この非人間的文明を真に人間味溢れるものにするためには、やっぱり本に…

青年は意気地のないことや、だらしのない身持ちを恥じて、熱烈な理想を持つこと。クラーク先生の名言を引用すれば「青年よ、大志を持て、Boys,be ambitious!」です。太陽の光に浴さなければ、物が育たないのと同じことで、人間の理想精神というものは、心の…

今日の近代文明社会においては、その一切の根底である「自らを修める」ということをすっかり棚上げしてしまっている。自分を修める、自分を磨く、自分を充実する、自分が自分を把握する、徹見するということを忘却し、ただ、外物、外界、他人ばかりを問題に…

貝原益軒が「煩を厭うは是れ人の大病である」とその随筆集『慎思録』に書いております。わずらわしいことを避けて、なるべく簡単にしようとするのは人間の大病であって、そのために人事に関する問題が駄目になり、事業が成功しません。どんなにわずらわしい…

すべて存在するものには理がある。理がなければ存在出来ない。すべて生きとし生けるものにはみな理がある。理がなければ生きられない。 だから一口に理というけれども、理にもいろいろあるわけです。 例えば、物が存在し、それによって動いておる。或は生き…

学問・道徳・宗教を修めるということは、人間がもっとも人間らしくなることである。人間がもっとも自然真実に練成されることで、人間を廃業することではない。人間を木や石にすることではない。なんでもないことであるが、そういうところに非常に誤解がある…

人間は現象的に煩雑になればなるほど、根源から遠ざかり、生命力が弱くなる。木でもそうですね。木というものはあまり枝葉が茂り過ぎたり花や実がつき過ぎたりすると、一時的には大そうさかんなように見えるけれども、実はそれによって木の生命力は非常に弱…

今時の人間は少しでも評判をよくしたい。持てはやされたい。人民大衆からもてはやされたいことばかり考えている。そういう時にその逆に、あたかも人間が太陽の光を受けて育ちながら、太陽に一向気がつかない。空気を吸って生きていながら、空気の有難味を思…

人の評する秀才だの、鈍才だの、全く意に介するに足りません。一に発憤と努力如何であります。〝鈍〟は時に大成のための好資質とさえ言うことができます。鈍はごまかしません。おっとりと時をかけて漸習します。たとえば、書なんかでも、器用な書というもの…

道徳について、私がいつも気になることは、どうも道徳ということを、一般的には、何か我々の生活上の特殊な問題のように考える癖がついている。特殊なこと、不自然なこと、無理なこと、強制しなければできないことのような、そういう先入観念があります。こ…

鶏頭となるも牛尾となる勿れ、という言葉がありますが、大会社の支配人より豆腐屋でもいい、独立したいという考えの方が強いのであります。小さくてもよいから自由な立場に立ってゆくことに一つの憧れをもっているのであります。だから、なるべく個々の創意…

我々人間には三つの原則があります。第一は自己保存ということ。身体の全機能・全器官が自己保存のために出来ておる。第二は種族の維持・発展ということ。腎臓にしても大脳にしても、あらゆる解剖学的全機能がそういうふうに出来ている。第三には無限の精神…

わが国はいま民主政治であるといっていますが、実際には人間性を重んじているとは言えないと思うのであります。ずいぶん無理な政治が行なわれております。それは為政者も民衆も、われわれの人間性ということについて認識が低いからだと言えましょう。従って…

どうも人間というものは過(あやまち)を聞くことは喜ばぬもので、これはいつの時代でも同じことであります。これでは病気を守って医者を拒否するのと同じことで、その過で身を滅ぼしても悟ることができない。「人生は習慣の織物である」とアミエルもその日…

砂糖を使う人は自らその甘さを知らなければ上手に調理できないように、民衆を導き政治を担当する人は、本当に人間の味をなめて、人間性を知った人でなければできないのであります。だから為政者がこれを味わわずして、学問や才能や理論のみに頼って政治を行…

人間はたえざる練磨によって矛盾・衝突がなくなり、だんだん本能的・直観的になってくる。自動車の運転一つにしても、最初のうちは車と運転者が相扞格して抵抗し合っておるけれども、だんだん練習しておるうちにそういう扞格がなくなって、車と人とが一体に…

人間の知恵や才覚というものは大自然の働きに比べますと、実に小さいものであります。すなわち、人間の全生活を通じて、人知の働きはせいぜい万分の一で、残りの九千九百九十九は、天地自然の理の働きによって生かされているのであります。しかるに学問や知…

人類文明の第一歩は、人間の前足が手になると同時に、頭が活躍し始めたことにあるわけで、したがって弊害もそこから始まると考えて間違いないのであります。第一、立つということは、地球の引力の法則に反するから、それだけでも疲れる。立つことによって生…

本当に生き生きと楽しんで仕事ができ、そこから生み出される収入で、多少の蓄積も生じて人生を楽しめるようになるのは、一に政治の力によるものであると思います。ところが政治の上の大きなムダが、国民の真剣な働きを打ち消してしまうようでは、国民は余裕…

学問に限らずいかなる問題にしても、それを進めてゆく上の原理・原則というものがある。ルールというものがある。これを無視してはスポーツもできないし、碁・将棋もできない。手術をするにも基礎条件というものがある。まずあらゆるものの消毒から始まって…

宇宙の恵みに感謝してゆく人は、永遠の生命を知る人であります。宇宙に瀰漫する力を信じ、感謝の心を深めてゆくところに明朗な人生観が打ちたてられ、自然の恵みはいよいよその働きをまし、繁栄、平和、幸福の道に進むことができるのであります。 宇宙の恵み…