happykobe2005-10-09

「識」には三つある。一つは「知識」で、これは一番つまらん。雑識と言いますけれど、今日で言うとディレッタントというもの、これはあまり値打ちがない。人間には単なる知識ではなく「見識」、価値判断が大事である。見識がなければ語るに足らん。ところが見識があってもどうかすると、その人が臆病(おくびょう)である、あるいは狡猾(こうかつ)である、軽薄であるというと、その見識も何の役にも立たん。いかなる抵抗があっても、いかなる困難に臨んでも、確信するところ、徹見するところを敢然として断行し得るような実力力・度胸を伴った知識・見識を「胆識」という。見識があっても胆識がない人はたくさんいる。しかし人間は、胆識があって初めて本当の知識人である。これは東洋の知識学というものの根本問題であります。