happykobe2005-10-22

死んだ親父のことを先考と言う。これは「考える」ということと同時に、「成す」という意味を持っている。
何故亡き父を先考というか。親父が亡くなってみると、或いは亡くなった親父の年になってみると、なる程父はよく考えておった、と親の心がよく解る。まだまだ俺は出来ておらぬ。さすがに親父はよく考えてやって来た、と親父の努力、親父のして来たことがはじめて理解出来る。人間は考えてしなければ成功しない。考えてはじめて成すことが出来る。考成という語のある所以です。
と同様に死んだお母さんの事を先妣(せんぴ)と言う。妣(ひ)という文字は配偶、つまり父のつれあいという意味と同時に、親しむという意味を持っておる。母というものは、亡くなった母の年になってみて、はじめて親父の本当のよき配偶であった、本当にやさしく親しめる人であった。ということが解る。所謂恋愛の相手とは違う。本当の愛、本当の女性、母・妻、というものは、亡くなった母の年になると解る。
だから子供はなるべく早いうちから親父の偉いところを見抜く努力がなければならぬ。少なくとも志がなければならぬ。又親父も伜にそれを悟らせるだけの内容を持たなければならぬ。