happykobe2005-08-27

情は人間をそのままに表す心である。だから情を「まこと」ともよむ。もっとも、情を偽るということもあるが、理ほどではない。理のあてにならないのは、どうにでも弄ぶことの出来るところにある。かれも一理、これも一理、各人の立場立場によっていかようにも理を立てることが出来る。胸に一物あれば、そのように理屈がいえる。我田引水の論はおろか、盗賊にも三分の理がある。さなきだに、理というものは漱石草枕を待つまでもなく角が立つものである。