happykobe2005-08-06

我々が本当に学問修養をしてゆこうと思ったならば、ただ漫然とありきたりの生活をしているわけにはゆかぬ。日常の経験というものをできるだけ正してゆかなければならぬ。あるいは物の真実に到達してゆかなければならぬ。そこで初めて事の知識、本当の自覚というものが生じてくる。それによって「我々はこうすべきではなかった、こうしなければならぬ」というふうに、我々の意識を誠にして行くことができる。誠ということは最も深く造化的であり、絶対的であり、したがって真実であります。こうして我々の意思を真実にして行くことができる。そうすると心全体の動き(潜在意識に対する心です)が正しくなり、それが正しくなってゆけば自分の身が修まってくる。自分の身が修まってくれば家が斉ってくる。家が斉ってくれば国が治まってくる。国が治まってくれば天下が平らかに治まってくる。而して天子より一般人民に至るまで、身を修めるということを本としなければならぬ、というわけである。