人の評する秀才だの、鈍才だの、全く意に介するに足りません。一に発憤と努力如何であります。〝鈍〟は時に大成のための好資質とさえ言うことができます。鈍はごまかしません。おっとりと時をかけて漸習します。たとえば、書なんかでも、器用な書というものは、ちょっと見ればよいようでも、たいていは軽巧になります。厭きが来ます。元来下手なのが一所懸命習い込んだというものは、なんとも言えぬ重厚なよいものです。〝馬鹿の一つ覚え〟と笑うことでも、これを練り上げたら大したものなのです。
利巧な人間は、とかく外に趨り、表に浮かみ、内を修めず、沈潜し難い。どうしても大を成しにくいものです。味がありません。自分は頭が悪い、才がないということは、貧乏や病弱とともに、少しも成人(人と成る)に憂うることではありません。