学問・道徳・宗教を修めるということは、人間がもっとも人間らしくなることである。人間がもっとも自然真実に練成されることで、人間を廃業することではない。人間を木や石にすることではない。なんでもないことであるが、そういうところに非常に誤解がある。心配事があって心配するということは人間として自然のことであるが、そのために意気地なく苦しんだり、意地も張りもなくなったり、うろたえたり、仕事が手につかなくなったりはしない。平常と変わらず仕事ができるというのでなければならない。