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事業でも、力づくでやっておると、いずれ競争になって困難になる。事業が人間性から滲み出た、徳の力の現れであれば、これを徳業といいます。事業家は進んで徳業家にならないといけないのです。また、その人の徳が、古に学び、歴史に通じ、いわゆる道に則(のっと)っておれば、これを道業といいます。東洋人は事業だけでは満足しない、徳業にならないと満足しないのです。現代の悩みは、事業が徳業にならないで利業・機業になってゆくことです。すべてが機械的になって、およそ人間的交わりというものがなくなってしまいました。アメリカにグッドイヤーという会社があって、終戦がそこの社長をしておったリッチフィールドという人が社長を辞めて会長になった時に、『オータム・リーブス』(秋の葉、つまり紅葉のこと)という本を書いた。彼はその中で「これからの事業は今までのような功利的・機械的な事業ではいけない」ということを自分自身の体験からしみじみと述べている。
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健康であれば、そんなに長時間眠る必要はない。睡眠七時間、私は八時間眠らないとなんていうのは、あれは愚者の言うことで、本当の生理の分からん者の言うことである。あるいは非常に虚弱者の言うことである。虚弱者というのは往々にして不鍛錬、鍛錬しない、体を甘やかしておる者を言う言葉でもある。人間は寝ようと思うなら何回か熟睡することを考えればいい。ぐっすり眠ることを何回かやればいい、それで十分なんです。だからそれを上手にやれば、あとは適当に二、三十分くらいぐっと眠れば、それで頭がはっきりする。労働したりなんかして体が疲れれば、少し横になる。合理的生活、正しい生活、正生活を得れば、そう体は疲れるものではない。疲れるというのは、だいたい今の外の悪い空気だとか、いけない食い物だとか、あるいは精神的障害とか、いろいろなものによって疲れるんで、正常な生活をしておったら、そうそう疲れるものではない。本当に熟睡するならそう寝る必要はないんです。
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やはり、人間は真実に帰らなければならん。真実に帰るというのは、「天人合一(てんじんごういつ)」のことであります。私たちのあらゆる環境、あらゆる経済的、外面的なものは一切天に内在する。そこからみな流れ出ている。つまり人間というものは天に帰して天から人間を導き出すのであります。これを「天人相関(てんじんそうかん)」とか「天人合一」と言うのであります。天と人とを相対的に考えるのではない。これを一体として考えるのであります。そして天が一つの形を取って自己を生んだもの、あるいは形成したものが人間である。一切は天然である。人間が考えておるような理論や理屈によって存在しているものではなくて、自ずかららきたるものであります。言い換えれば、自然と人間とを一貫した創造の理法、すなわち真理に帰らんとどうにもならないのであります。論理では駄目なんであります。
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われわれ人間には三つの原則があります。第一は自己保存ということ。身体の全機能・全器官が自己保存のために出来ておる。第二は種族の維持・発展ということ。腎臓にしても大脳にしても、あらゆる解剖学的全機能がそういう風に出来ている。第三には無限の精神的・心理的向上。人間は他の動物と違って、精神的に心霊的に無限に向上する、所謂上達するように出来ている。
これは人間自然の大原則でありますが、近代文明は誤ってこの厳粛な三つの原則のいずれにも背きつつある。文明の危機に到達した原因はここにあるのです。これは今日の科学者や哲学することの出来る学者達の一致して論断するところであります。
要するに人間というものは、自分が自分に反って無限に向上するということが大事であって、これは古学も現代学も、哲学も科学も変わらざる真理であります。