帝王門
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基本的な方針を示して、あとは他の人びとに責任と権限を与えて自由にやらせる。
何かいいことをした時、成果をあげた時には、心からの賞賛とねぎらいを惜しまない。
清濁あわせ飲む心の広さ、度量の大きさを持つ。
何が正しいかを考えつつ、進むべき方向を定め、はっきり示す。
天地自然の理にしたがい、志を持って、なすべきことをなす。
広い範囲でものを見るようにつねに心がけつつ、人びとに広い視野を持つことの大切さを訴えていく。
過去の考え方、これまでのやり方にとらわれることなく、日に日に新たな観点に立ってものを考え、ことをなしていく。
人を得るためにはまず強く人を求める。
同じことでも人により相手により、大義を説き、利を説き、情に訴え、理に訴えるというように、説き方を変える。
人を用い、人の言に耳をかたむける。
自分よりすぐれた才能の人を用いる。
きびしく人をきたえることによって人を育てる。
こと熱意に関しては誰にも負けないものを持つ。
人情の機微をよく把握し、物事を行なっていく。
つねに素直な目で、人間というものを見、心の動きを知る。
人間とはどういうものであり、どういう歩み方をすべきであるかという正しい人間観を持つ。
淡々としてなすべきことをなしていく。
長期的な観点から、物事を判断し、行なっていく。
素質、才能の不足をいう前に、どれだけの努力をしたかをまずみずからに問う。
過去の常識、固定観念、そのほか何ものにもとらわれることなく、常に新しい目でものごとを見ていく。
他に依存することのない、自主独立の精神を養う。
つねに相手の心情をくみとることにつとめ、自分の心をみがき高める。
天地自然の理を知り、これに従う。
何事も天下の物、公の物なのであり、なすところは本質的に公事であると自覚する。
自分以外のことを考える余裕を持った人間になる。
組織というものは、新しいことに拒否反応を示す。
競争相手からも学ぶ心構えが大切。
みずからが適材であるか、自分以上の適材はないか、たえず自問自答する。
何が大事で何が正しいか見きわめつつ、大局的な見地に立って、小異を捨て大同につく。
基本となるポイントをしっかり押さえ、あとは自由にのびのびとまかせる。
何をめざし、何のためにやるということをみずからはっきり持ち、明らかにしていく。
身をもって実践し、範を示すようにつとめていく。
つねに人びとに先んじてものを考え、いろいろ発想し、それに基づいて適切な手を打っていく。
時代のうつりゆく方向を見きわめ、変わっていく姿を予見しつつ、対応する手を打っていく。
神のごとき世間の声を聞き、正直に誠実にしたがっていく。
結局最後に人を動かすものは誠実さであることを知らなくてはならない。
それぞれの人の持ち味をよく見きわめて、その長をとり短を捨てて、すべての人を生かしていく。
信頼の念を持って人に接する。
私の感情にとらわれず、いかなる非難や屈辱にも耐え、自分の正しいと信ずる方針を貫いて、じっと時を待つ。
私情を棄て、適切、公平に賞罰を行なわねばならない。
人びとの幸せを願う仁慈の心を持たなくてはならない。
誤りなく事を進めていくためには、できるかぎり人の意見を聞かなくてはいけない。
毎日自分の行ないについて自問自答していく。
つねに事にあたって、何のためにこれをなすのかという使命感を持たなくてはいけない。
自分のことを考えるのは四分、あとの六分は全体のこと、他人のことを考える。
1%でも可能性が残っている限り、最後の最後まで諦めてはいけない。
現実を見つめつつ、理想を描き、大きな志を立てる。
自らの心に問うて、やましいところがなく、公明正大であること。
大事を決するにあたっては、利害、損得といったものを超越し、何が正しいかということで判断する。
責任と権限を委譲して、各人の力に応じた仕事をさせていく。
地位が上がれば上がるほど、ますます謙虚にへりくだる。
失敗の原因はすべて自分にあると考える。
公の立場に立ったきびしさがあって、はじめて人も育ち、事も成就する。
何か事を行う場合は、断固やりぬく気迫を持つことが大切。
感謝報恩の念の強い人には、すべてが喜びとなり、心も明るく、また他とも調和し、共存共栄といった姿を生み出しやすい。
諫言や悪い情報を求め、みながそれを出しやすいような雰囲気をつくる。
お互いの利害というものは大きくはみな共通しているのであり、自分を愛するごとく他を愛す。
どういう事態にあっても動揺しないような一つの信念を持っていなくてはならない。
命をかけるというほどの思いがあって、はじめていかなる困難にも対処していく力が湧いてくる。
問題が山積している折には、私情にかられず、公のための怒りをもって事にあたる。
出来うる限りとらわれを排して、物事をあるがままに見るように努める。
昨日を悔やまない、明日を思い煩わない。今日という一日に全力を傾け、有意義に過ごす。
艱難を自らに課し続ける人間のみが、不断の人間的成長を遂げる。
使われる立場にいるときには使う立場にも考えを及ぼし、使う立場にいるときには使われる立場を思いやる。
進む時は人まかせにし、退く時は自分で決める。
功労ある者には賞を与えよ。地位を与えてはならない。功労に酬いるために見識なき者に地位を与えると、崩壊の原因となる。
来る者は迎え、去る者は送り、対する者とは和す。
常に他人のために生き、決して自己の利益を求めない。
苦労なこと、いやなことは自らやって、人に押しつけない。
人生の決断に迫られた時、心の原理原則をもっていないと、いたづらに迷うばかりで、物事は解決しない。
他人と約束したこと。他人から委任されたこと。命じられたことを責任をもってやり通すところに、信用の基礎が生まれる。人から信用を得ることが最大の財産になる。
老境に入ると、人は名誉欲、金銭欲、権勢欲に執着する。この種の過大な欲望を自戒すべきである。
仕事をすれば金は結果として後から必ずついてくる。金、金、金と眼の色をかえて金を追っかけているうちは絶対に金はついてこない。
金銭に左右される人間ではなく、金銭を左右する人間になる。
どんな人に対しても暖かい思いを持つ、心配りをする。
夢なり理想なりがあってはじめて、それに向かっての自己向上が始まる。また希望を持って力強く日々を歩むことが出来る。人間としての魅力が出てくる。
情報を集める力を持ち、いい情報を見分ける力を持ち、さらには、情報を組み立てて新しい、独創的な知恵をつくりだす。
汗を流し、涙を流し、努力に努力を重ねるうちに、ほんものの知恵が湧いてくる。身についてくる。
なんとしても目標を実現したいと願うならば、出来ないことでも、なんとか出来るように考える。出来ないけど、出来るようにするためには、どうしたらいいのかを考える。そして断固やる。それを解決する知恵を出し、努力する。
人間をどう認識するか、人間の本質はなにかということを、まず自分のものにしておく。
素直な心が個人の人間を幸せに、また人類に繁栄と平和と幸福をもたらす。
こだわらず、とらわれず、素直な心になって考える。行動する。
燃える思いで訴える、繰り返し訴える、なぜ訴えるのかを説明する。
ものごとは自然の理法に則っているならば、必ず成功するようになっている。成功しないのは自然の理法に則っていないからで、それは自分にとらわれたり、なにかにこだわったりして、素直に自然の理法に従うようなことをしないからである。
人材を起用するときに、その人のいろいろな能力よりも、その人に熱意があるかどうか、からだにみなぎるほどの、正しい熱情があるかどうかを、考え判断する。
権力の座にある者は、たえずその権力に対する反省をしていないと、大変な間違いをおかす。
居るか居ないか、わからないが、その人がおれば、それだけで皆が落ち着く。問題が起こらない、そういう人物こそが最も「至れる人」であり、「徳の究極」である。
上に立つ以上は「才」と「徳」との両方を兼備しているのが一番いい。二者択一を迫られた時には、躊躇することなく「徳の人」をとる。
人間の器量は余裕から生まれる。理論や功利に走らず、大自然に従って、精神的な境地を創っていく。
艱難は忍耐を生み出し、忍耐は練達を生み出し、練達は希望を生み出す。
不安から逃げようとする無駄なあがきはやめて、逆にスッポリと自分の中に取り入れ、毎日毎日を最善をつくして生きる。
どんなに困難な仕事であっても、計画を立て、決定した以上は、万難を排して実行する。
人間というものは、能力やかけ引きや小細工ではなく、その人に備わっている地味で誠実な人間味や、温かさ、あるいは裏表のないことで評価される。
原理原則さえしっかり押えておけば、どんな複雑なことに出くわしても、それにふりまわされることがなく、心は常にのどかである。
ただひとつの仕事を熱心にやっていけば、だれでも自然に、この先はこうなるだろうという予見を持つことができる。
過去を遠く見通せる人間は、未来も遠く見通せる。
毎日、自分の仕事と生活にベストを尽くす。絶えず考え、分析し、人の意見を聞いて、真剣に取り組む。
世の中を善くしようとする理念や目的がなく、ただ自分の利益だけを追求するような努力は邪道だ。
自分が自分に惚れるような自分になる。感謝できるような自分になる。信頼できるような自分になる。尊敬でき、拝めるような自分になる。そのような自分になるために精一杯努力する。
行動のないところから、生きがいなんて生まれてくるものではない。まず行動してから考える。
上になればなるほど、無私に徹していかなければならない。
自己に厳しくし、いつでも相手の立場に立って、物を見、考えていく。
縁を大切にすることは人生を大切にすることであり、その縁がうまく発展すると、いい縁がさらにいい縁を生む。
知人や友人を大事にする人は、成功する確率が高い。人間関係を大切にする人が成功する。
いちばん大事なのは、人間的魅力。魅力がなければ、まちがいなく人はついてこない。
一人ひとりの能力や働きに過度の期待をかけず、組織全体の勢いを重視する。
もろもろのはかりごとを胸の奥深く秘めてじっくりと構え、やたらに軽挙妄動したり、不安動揺を外に現さない。
去って行く者は去るにまかせて後を追わず、来る者はどんな相手でも拒まずに受け入れる。
静止した水と同じように、静かな澄みきった心境でいれば、いついかなる事態になってもあわてることなく、誤りのない判断を下すことができる。
力で屈服させたり、地位で服従させたとしても、表面だけのことで、けっして心服はされない。力や地位の呪縛が解ければ、たちまち離反の憂き目にあう。
事業でも業務でも、いささかでも疑問点が残っているうちは実行に移すべきでない。徹底的に疑問点を解明し、これなら万全だと見きわめたところで実行に移る。
周到な準備をととのえて待ち、好機到来と見るや、ただちに行動を開始する。
時代の変化にとり残されないために、常に自分をリフレッシュし、創造的革新をはかる。
他人の眼があろうがなかろうが、常に慎重に振るまう。
人に好かれるのは、温かさをもった人物である。
管理や締めつけをきびしくすれば、社会全体が息苦しくなり、人々の創造性も社会の活力も失われてしまう。
発言と行動は、ふだんから慎重を期さなければならない。
清廉でありながら包容力があり、思いやりがありながら決断力がある。
大きな事業を成しとげるには、まわりの人々の支持と協力を必要とする。それに成功した者が勝ち、それに失敗した者が敗れる。
信頼のおけない人間は登用しない。これはと見込んで登用したら、とことん信頼して使う。
人の上に立つ人物は、リーダーとしての徳を磨く必要がある。
焦って成果をあげようとすれば成功しないし、小さな利益に気をとられると大きな事は成し遂げられない。
社会的規範に外れたことには目を向けず、耳にせず、社会的規範に外れたことを言わず、行なわない。
立派な人は、口数は少ないが、実行には敏捷である。
地位が得られないことを気にかけるよりも、その地位に相応しい実力のないことを反省しよう。自分を認める人がいないと言って嘆かずに、人に認められるような実績をつくるように努力しよう。
立派な人は広く親しんで一部の人におもねることはない。つまらない人は一部の人におもねって広く親しむということがない。
何事もやる気になれば、どんな大変な出来事が待ちかまえていても、やり遂げられ、必ず成功できる。
現在自分のいるべき地位、使命を自覚して、それを果たすように努力する。
自分が動かなければ、人も動かない。人が動いたら、とにかく仕事を任せる。そして、多少至らないところがあっても、大目にみて、よいところは褒める。
人として為すべきことをしたら、後のことは、天に委ねる。
めったに万策尽きたなどと言うべきではない。一筋の光明はどこかに隠されている。それを見出せるか否かは、日頃の精神の鍛錬による。
驕りたかぶって、亡びなかった者はいまだかっていない。
心の中に怒りをもっているときは、正しい処置を取ることはできない。
怒りを感じた場合、それを感じたままに発したら、どんな後難となるかを熟考せよ。
時と所と立場を考えながら物事を判断し、調和を保ちながら前進する。
単に世情に便乗した事業というのは、長続きしない。なぜなら物事の本質を捉えていないからである。
事変に遭い、困難に遭った場合は、忍耐に忍耐を重ねて、くじけることなく、他日の成功を図る。
苦しい決断でも、死ぬ覚悟であたれば、冷静・沈着になれる。
口ばかり達者で、お世辞ばかり使うような人間に、本当に他人に愛情を注ぐ者は少ない。
成功するには、時を得ることより、地の利を得ることより、人の和を得ることが大切である。
他人に忠告するときは、あまり厳しすぎてはいけない。その忠告を受け入れ、改められる程度を考慮して行う。
正しい者を人の上におけば、おのずから正しくなり、心服するにいたる。
公平を失い、歪みがひどくなると、結束のタガがゆるみ、石垣が崩れるように、組織は瓦解する。
会社経営とは、人の為にすることで、それ以外の目的はない。
帝王学を一本の樹に例えれば、根であり、幹です。この根や幹がしっかりしていないと、枝や葉の成長は覚束なく、成長しようとして、やがて枯れてしまいます。
権勢によりかかりおもねりへつらう者は、ある時は栄えても、最終的には、さびしくいたましいものである。
嗜好、喜怒の感情を、賢者はうまく押さえて、過度に発散させることはない。愚者はそれを押さえることができず、身の破滅を招く。
人を知ること自体容易なことではない。まして、自分を知るということは至難の技だ。
人間は苦悩によって練られてゆく。肉体的にも精神的にも人間が成長してゆくために苦悩は欠くことのできない条件である。
他人の富貴栄利をみても、うらやまず、それにかこつける等というあさましいことはやらない。また他人の落ちぶれた姿をみても、軽んじたり、あなどったりしない。ましてこれをいとい、捨てる等のことをしない。
生死の理をよく知り、その精神をゆがめることなく、他人を疑ったりせず、ゆったりと落ちついて、潭の澄んだ姿のようであれば、どのような変化にも応じられる。ところが少しでも心に為さんとする気持があると、かたちにあらわれ、争いがおこる。
自分が本当に公平になって人材の発見につとめ、登用すれば、三年か五年のうちに半ばは成功する。
金銀を多く子孫に残すより、広く善事を行い、陰徳を積むと、その徳がめぐって子孫の幸福となる。
どのようなことでも思慮深い人と相談して実行するのが良い。独断でやると、自分の身勝手が加わるため、誤ることがある。
家業を怠らず、みえをはったり贅沢をしなければ、自然に家は豊かになる。
常に心がけて隠徳を積む。自分のなす善いおこないを他人に知らせる、あるいは知ってもらうということを求めない。
大本がたしかでしっかりした人だったら、少しくらいの短所や癖があっても用いる。そうでないと人材を活かすことはできない。
すぐれたトップは、皆の力だけではなく、皆の知恵を引き出そうとする。
世間を渡るのに、あまりに潔癖すぎる態度はよろしくない。いろいろな汚ないものをも腹の中に納めてしまう度量が必要。人とつきあうには、白か黒かとレッテルを貼ってしまってはならない。善悪賢愚、さまざまな人たちを平等に受け入れる寛容さが望ましい。
見識・度量は、知識とはまったく別のもの。知識というのは、自分の外側にあるもので、見識・度量というのは、自分の内側から出てくるもの。
天下の憂いに先んじて憂え、天下の楽しみにおくれて楽しむ。
物にも、それにふさわしい位置というものがあるように、人材にも、その人に適した場所というものがある。いわゆる適材適所だが、これが本当に行われれば、上にいる者はやることがなくなってしまう。そのくらい、万事がうまくいく。
人々に受け入れられないからといって自分の意見を曲げてはならない。自分の偏狭な感情から人の意見を否定してはならない。自分の小さな打算から全体の利益を無視してはならない。個人の感情をはらすために世論の力を借りてはならない。
心が本来の正しい状態を失って、中正を得なければ、ものを視ても見えず、声を聴いても聞こえず、飲食してもその味わいがわからない。
どっしりと深く沈潜して厚み・重みがあるというのはこれは人間としての第一等の資質。大きな石がごろごろしておるように、線が太くて物事にこだわらず、器量があるというのは、第二等の資質。頭が良くて才があり、弁が立つというのは、第三等の資質。
金が足らないということは信用が足りないということ。理財の道はまず信用から。
失敗の責任は自分もとろう。しかし功績をあげた栄誉の仲間には入るな。功績を共有するのは仲たがいのもとだ。
時間は時々刻々と移り変わるが、自分の心は「現在」に据えておかなければならない。時機が到来していないものを迎えることは不可能だし、また過ぎ去って行ってしまったものを追いかけても追いつけない。少しでも過去のことに未練をもって追いかけたり、まだやっても来ないものに気を揉んだりするのは、「心の不在」を示すものである。
できるだけ目先にとらわれないで、長い目で見る。一面にとらわれないで、多面的に、できるならば全面的に物を見る。枝葉末節にとらわれないで、根本的に見てゆく。この三つは物事を考える上に欠くべからざる大事な原則である。
利口ぶるのはやめて、無骨な率直さを守り、自分の本心を見きわめて、天地と一体となって生きよう。華美な暮しには背を向けて、さっぱりとした境涯に安住し、そのすがすがしい一生を長く天地にとどめよう。
およそ天下の大事はすべて小事に起因している。小事だからといって捨ておけば、大事が出来したときにはもはや手のつけようがない。
情報を隠すという風潮は良くない。隠すべき重大な機密事項は守秘すべきだが、公開しても問題ない事項まで包み隠そうとすると、かえって人々の疑念を招いて、信頼感まで失なってしまう。
人間は時々刻々に変化して進歩してゆかねばならない。常に旧来の陋習を去ってゆかねばならない。
高くけわしい山頂には木も生えないが、ゆるやかな谷間には草木が生い茂る。激しい流れには魚も棲みつかないが、よどんだ淵には魚や亀が群がる。ひとりよがりな行動や、あせった考えに走ることなく、包容力をもって人を導かねばならない。
世間には、大きなことばかり言う者がいる。そういう人は、決まって度量が小さい。また、いつも威勢のよいことばかりいう者もいる。こういう人に限って臆病者である。一方、発言が大きくもなく、元気があるわけでもないが、その言葉の中に深い含蓄がある人の多くは、見識も高く、度量も広い人物である。
財産、地位に恵まれているときにこそ、貧しく地位の低い人たちの苦しみを理解せよ。若く元気なときにこそ、老い衰えたときのつらさを考えよ。
頭脳は、正しい判断ができるよう冷静でありたい。背中は、人を動かせるよう暖かくありたい。胸は、人を受け入れられるよう虚心坦懐でありたい。腹は、物に動じないよう胆力を充実させたい。
些細なことにも手抜きをしない。人目がなくともうしろ暗いことをしない。不遇になっても投げやりにならない。
皆の安泰を願うなら、まず、おのれの姿勢を正す必要がある。
口先だけで人を諭そうとしても、誰も従ってはくれない。みずから先頭に立って実行すれば、人はみなこれに見習うものである。そしてさらに道徳をもって感化すれば、人は自然に一人残らず心服してついてきてくれる。
寛大で温かな心は、春風が万物を育てるように、すべてのものを成長させる。冷酷で疑い深い心は、真冬の雪が万物を凍りつかせるように、すべてのものを死滅させる。
天のように大きくなくては、下にいる者みんなを覆ってやることができない。また、地のように広くなくては、万物すべてをそのうえに載せることができない。
ものごとに対処するには、無心でなければならない。心にふくむところがあると、ことはスムーズにはこばぬ。そればかりか、混乱のもとともなりかねない。
人から信用を得ることは、大変むずかしい。人は言葉を信じないで、その行ないを信じる。さらにいえば、行ないではなく、その人の心を信じる。
心からうれしく人を愛する。人が幸福になるのを喜ぶ。人に禍がおよぶのを憎む。しかも、それは生まれつきの心から出てくる、どうにも抑えようのない感情であって、なんの報酬をも期待するものではない。
ものごとを討論するときは客観的な立場に立って、当事者たちの利害得失を十分に考慮することが望ましい。ものごとの処理にあたるときは、実践の先頭に立って、その結果、自分にふりかかってくる利害得失はいっさい念頭におかない。
はじめて学問をこころざし、自己修養につとめるにあたっては、金や玉のようでなければならぬ。微細なホコリひとつ受けつけぬほどにピカピカにみがきあげる。徳を身につけたあとでは、少々の汚れをかぶろうとも、人間はそこなわれることはないし、また、汚れをまったく受けつけぬようでは、かえって器量を問われる。
五つの徳性を備えていなければならない。1、智(頭の働き) 2、信(人から信頼されること) 3、仁(人間味のあること) 4、勇(勇気) 5、厳(きびしさ)。
下手な技巧を弄すれば、自分自身にわざわいをまねく。
名声、富、地位、それらに執着する心を洗い流すことができれば、俗物の境地を脱出できたといえる。だが、道徳や仁義を守ろうと苦労しているうちは、まだほんものとはいえない。そのようなことにこだわらず、天地とともにありのままに生きる境地に達したとき、ようやく聖人の域に達したといえよう。